担当:村上絢一
歴史学は様々な「過去」の痕跡をもとに、その解釈を試みる学問です。
高校までの歴史の授業は、
すでに誰かが記述した教科書の筋書きを知ることに主眼が置かれています。
それでは、その教科書の記述はどのような根拠に基づいているのでしょうか。
目の前に存在しない「過去」は、どのような手続きを経て認識されるのでしょうか。
そして、「過去」を研究することにどのような意味があるのでしょうか。
この講義では、講師が専攻する日本中世史を主な題材に、
上記の認識論的・方法論的関心に答えます。
前半では、具体的な分析素材に触れることで、日本史に限らず、
歴史学に共通する視座の獲得を目指します。
後半では、「一遍聖絵」を読み解くことで、中世に生きた人や風景を観察し、
「異世界」としての中世社会を考えます。
はじめに、民俗学者・宮本常一の名著『忘れられた日本人』の一編から村の寄り合いや講、
そしてそこに継承される「文書」の世界を紹介し、
その歴史的起点としての中世という時代を考える最初の導線としました。
およそ歴史学と称される学問の最大公約数は、「過去」の痕跡である史料を読み解くことで、
全体像としての「過去」の解釈を更新することにあると考えます。
本講義では、古文書の写真と活字の翻刻文を読み比べ、
さらにその対象を複数組み合わせることで、
実際に歴史学の研究者が「過去」の解釈を行う作業を、それに近い形で提示しました。
講義の後半では、出席者の皆様に絵画史料『一遍聖絵』を観察して頂き、
それぞれ関心の持たれた箇所を赤ペンで囲んで頂きました。
いずれの方も、『一遍聖絵』の描く世界に強い関心を寄せられたようで、
次回の担当回では、こうした気付きや発見を、様々な史料使って多角的に照射してみたいと思います。
『一遍聖絵』について、出席者の皆様に挙げて頂いた気付きや関心は、以下の通りです。
このうち数点は次回講義で解説します(どれになるかはお楽しみに)。
歴史学の難しさ、面白さがうまく伝えられた講義だったと思う。
参加者が少なかったのは残念だったが、学生たちも楽しんで参加していたようだった。
スライドの情報量も全体的に適切で、色合いなども見やすかったと思う。
話し方も落ち着いていて、講義も聞きやすかった。
歴史学の認識枠組みを分かりやすく提示した上で、
実際の歴史学の営みに具体的なイメージを沸かせるような授業の構成になっており、よく練られていると感じた。
一方で、くずし字の読み方など、もう少し話を展開できるような部分もあったのではないかと感じる。
適宜、「問い」を自分から発することで授業のリズムをつくっていくことも必要だという指摘がされていた。
緩急をつけ、平板になりがちなところへの工夫がもう少しなされれば、更に改善できる思う。
初回から非常に質の高い講義だったので、
今回の経験を活かして二回目の講義がどう改善されるのか非常に楽しみです。
杉谷(政治学)