文学のミカタ②――「文学」の役割とその未来を考える――

担当:山根(日本文学)

概要

そもそも「文学」って何の役に立つの?

このような問いを聞いたこと、あるいは、自分でも抱いたことはありませんか? 

文学はいわゆる役に立たない学問と見做されがちです。

最近では、国立大学における文系学部廃止がまことしやかに囁かれ、文学部は縮小の傾向にあります。

けれど、本当に「文学」は役に立たないものなのでしょうか?

役に立たないとすれば、なぜ私たちは「物語」を作り、読むのでしょうか?

「文学」を研究する意味は一体どこにあるのでしょうか?

 

今回は、まず、なぜ日本では文系学部が軽視されるのかを確認した後に、「文学」の役割とはなにか、なぜ私たちは「物語」を欲するのか、文学研究をするとはどういうことなのかを、作家や批評家・研究者たちの言説を参考に、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

講義を終えて

前回は文学研究の方法を紹介しましたが、今回は「文学」そのものの役割について、お話させて頂きました。

 

今回、このテーマを選んだのは、昨今、「文学」は「役に立たない」という言説が広く流布されているためです。そこで、「文学」がなぜ誕生し、どのように利用されてきたのかを見ていくこと、さらに、現代作家の言説や分析心理学の観点を踏まえ、その役割を示せれば、と考えました。

 

しかし、今回は「文学」というより、「物語」の役割の一端を示す形となりました。講義担当者の関心が主に「物語」に向けられているため、そうなってしまいました。タイトルは「「物語」の役割」とした方が相応しかったかもしれません。

 

「文学」の役割は、「物語」としての役割の他にも、多々あることでしょう。研究者ごとに異なる答えが返ってくるのではないでしょうか。「文学」の何に重きを置き、抽出するかは研究者によって千差万別です。その中で、アカデミックな世界だけでなく、一般社会にも通用するものを、いかに打ち出せていけるか。それが、今後の文学研究者に必要とされていることなのではないかと、今回、受講生の皆さんとのお話を通して、感じました。

 

一般社会における「文学」は「役に立たない」という言説に対抗するには、「文学」を専門としない人たちに語りかける能力が必要とされるでしょう。これは、専門分野に閉じこもっていてはなかなか得がたいものであり、異分野(他者)が交錯する総人や人環のような環境でこそ、培えるものかもしれません。そもそも「文学」は学際的な要素を持つものであり、その点においても、総人・人環は「文学」を研究するには適した環境と言えるかもしれません。今回の講義を通し、少しでも「文学」に興味を持たれた方には、ぜひこの環境を生かし、自分なりの「文学」との関わり方、そして、その役割を模索して頂ければ、幸いです。

 

院生質疑で、時間がなく充分に答えられなかった文体をめぐる問題について、補足をしたいと思います。

 

文体をめぐる学問については、英米圏では「修辞学」という古来からの学問があります。文章はどのように構成すれば最も効果的であるか、を教える学問です。19世紀に修辞学は言語学に吸収され、以後、文体に関する研究は言語学の分野で行われることになりました。

 

しかし、文学研究でも文体に注目する流れは何度かあり、1920代にはロシア・フォルマリズム、50年代にはローマン・ヤーコブソン、80年代には「新しい文体論」(従来の個別のフレーズ等ではなく、作品全体の構造を分析する)が、言語学と文学研究の統合を試みています。言語学研究者と文学研究者は歴史的に仲が悪いので、主流な研究方法にはなっていないようですが……。

 

現代、主流な研究で文体に注目しているものとしては、ジェラール・ジュネットの『物語のディスクール』(1972)があります。ジュネットの方法は、構造主義の一分野である「物語論」に分類されます。同書でジュネットは、視点や文体――直接話法や間接話法、付加語(誰の発話か示す語)等――に注目し、物語の語られ方の分析方法を提示しています。文体を「物語」を構成する一要素と位置づけ、その構造を明らかにする試みです。

日本近代文学研究におけるテクスト論は、ジュネットの影響を強く受けているので、ある意味では、文体に注目していると言えるかもしれません。

 

日本においては、昭和十年ごろから波多野完治らによって文体論研究が始められましたが、漠然とある作品の文体の「印象」を語る、というものが多く、方法論の確立が求められています。この他、坪内逍遥に始まる言文一致運動の問題もあります。

 

文体は文学研究にとって、重要な要素の一つであることは間違いないでしょう。しかし、文体論者は、自分が直感的に得た文章の「印象」を、言語学を使用して論理化している傾向があります。文学研究に科学的な実証性を担保したい場合、言語学的な文体分析は有効な方法と言えるでしょう。しかし、それを是とするかはまた議論が分かれるところです。これもまた、文学、そして、文学研究とは何かという、各研究者の問題意識が如実に反映される問題です。

アシスタントコメント

前回同様、半期15コマかけて構成してもいいだけの大きなテーマを扱った内容で、情報量の多い充実した講義だった。それだけに、全体的にやや慌ただしく進めてしまったのはもったいなく感じた。もう少し論点を絞って、その部分に重点をおいた講義にするのも一案だと思う。とはいえ、講義者の問題関心が色濃く反映され、また、それが話し方からも十分に伝わる熱量のある講義になっていた。この点においては、成功した講義だったと思う。もう少し時間をかけて、さらに詳しく話を聞いてみたいと思った受講生も多かったのではないだろうか。

院生質疑は、担当者の専門分野や問題関心から、やや紋切り型の質問となってしまった。それ自体は一長一短だと思うが、ひょっとしたら、回答を含めて、既視感をもった受講生もいたのではないか。今から振り返って、同様の内容を聞くにしても、もっと講義者の視点を引き出せるように、尋ね方を工夫できたらよかったというのが、個人的な反省点である。