人間と自然の「歴史」と「美」

担当:ロレダナ スコルシ・亀岡

概要

 

文化と自然、人工的なものと天然のもの、本能と知性、無作為と作為……

 

このように挙げてみると、私たちの身の回りには、人間と自然を対置させる言葉が多く存在しているとわかります。

今回のディスカッションでは、こうした人間と自然という素朴な対概念を切り口に、「歴史」と「美」という二つのトピックを中心的に扱います。

登壇するのは、庭園や日本文化について美学的な観点で講義をしたロレダナさんと、生物の進化について講義をした亀岡さんのお二人です。

 

各時代に応じた庭園のスタイルの変容と、周囲の環境に適応するための生物の進化。

全く対象の異なるこの二つを、「歴史」的な変化のプロセスとして俯瞰的に見ると、そこにはどんな共通点・相違点があるのでしょうか?

また、私たちは庭園をはじめとした芸術に「美」を感じながら鑑賞する一方で、ありのままの自然の中にも「美」を見つけ、壮大な自然を前にして感動を覚えもします。

 

フロアのみなさんからの意見をいただきながら、こうした経験の差異についても考える時間にしたいと思います。

 

文責・司会:真鍋(社会学) 

ディスカッションを終えて

 

 登壇者としてディスカッションに参加したのは、今回が初めてでした。非常に良い経験になりました。当日の進み方はそれほど予測がつかなかったので、模擬講義よりディスカッションのほうが不安でした。実際にやってみたら想像通り、講義より難かしいと感じました。異分野の研究の話を聞きながら、相手の述べたことと絡むように自分の研究についての考えを整理するのは大変でした。

 亀岡さんとの議論と皆さんからの質問のおかげで、自分の研究について新しい閃きがありました。たとえば、庭園の意匠の進化において、過去の要素を新しい意匠に意識的に取り入れられることのすばらしさを実感しました。そして、山縣有朋がしたように過去を否定するというのは、過去を基礎とすることでもあることに気づきました。過去を否定することは、真新しい要素の移入をある程度妨げる機能があるので、新しい意匠が過去の意匠の再解釈になる、ということです。

 今後は自分の研究を深めつつ、幅広い話ができるよう、意識的に視野を広げていきたいと思います。

ロレダナ スコルシ(庭園論・美学)

 

 

 庭園に関する研究というものを私自身が知らなかったため、ディスカッションの際に色々とお話を聞くことができ、非常に有意義な時間となりました。

 ただそれゆえに、庭園学(論)に関する純粋な疑問がわいてしまい、自分の研究分野と絡めた議論を行うのが非常に難しく感じました。特に進化に関しては、オーディエンスの現在の理解度をはかるのが非常に難しかったため、口にする単語単語が伝わっているかどうかを把握しきれず、私の話が消極的になってしまった部分があったかと思います。

 自分の学問の立ち位置、考え方からの質問をするなど、異なる専門学者とのディスカッションという非常に特殊な環境をもっと活かせる工夫ができればよかったかと思います。

亀岡(分類多様性学)

 

 

 美学(庭園論)と生物学(分類多様性学)というかなり距離のある分野のディスカッションということで、最初はどうしたものかとずいぶん頭を悩ませましたが、蓋を開けてみると、「歴史」と「美」という二つの切り口から、その思考の差異が浮き上がってくるような議論ができたのではないでしょうか。後半はフロアからも多くの質問が寄せられ、広がりのある議論ができたように思います。

 司会として、お二人の考えやフロアからの質問を引き出すことに注意していましたが、個人的には、もっと掘り下げてみたい話題もありました。

 たとえば、「美」のトピックでは、人間の手が加わっているので自然ではないにもかかわらず、余計に「自然らしい」という論点は、ディスカッションでは十分には回収できませんでしたが、とても興味深いもののように思います。

 また、「歴史」のトピックでは、生物の進化にせよ、庭園の変遷にせよ、そこでは「世代」の問題が重要になってくるように思います。生物進化と世代の話は講義でもあったので割愛するとして、芸術の時代変化には、前世代の作品をどう乗り越えるのかという世代間の対立がつきもののように思いますし、どのような所に「美しさ」を感じるのかといった観客の感性もまた、世代間で大きく異なるように思えます。

 こうした論点の続きについては、講義後のフリートークなどでもお話しできるといいですね。

真鍋(司会・社会学)